映画館に住みたい。

邦画を映画館で観るのが大好きな40代がtwitterでネタバレを書けずにblogへ流れてきました。

ネタバレあり/『真夜中乙女戦争』が素敵すぎる(特に映像が)

衝動的にいっぱい書きたいときにだけ更新するブログです。
衝動を掻き立てられる1本に出会えたので、久々に更新。
公開前に試写会で観た『真夜中乙女戦争』です。
ネタバレありなので、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、前提として、私は建物を観るのが好き(専門的な知識は全くない)&映画を観るときにどうしてこの角度から撮るのか、この動きで撮るのかを考えるのが好き(答えがあるかないかは知らない。考えるのが好きなだけ)という人です。

それで。
『真夜中乙女戦争』、ファーストカットから「やばいやばいやばい!!これ絶対好きなやつ!!!!」とぞくぞくするほど、かっこいい。

東京タワーをそれと分からないほど接近して舐めるように上へ向かって撮っていき、その次に、逆さになった東京の夜景を上から下へ降りてくるように撮って……がーっと上がって、不穏な空気を漂わせて下げる、みたいな。逆さまの東京が降りてくるのは、結末の暗示なんだろうな、と。価値観全部ひっくり返す、的な。

カメラワークに関しては、他にも面白いカットがたくさんあって。
例えば、主人公である「わたし」の部屋の中のカットでは壁にもたれて座りながら電話で話す主人公を起点にして、そこからゆっくりぐるりと360度カメラが回って部屋の全てを映します。電話している間にぐるりと回すというのがなんかすごく新鮮で。登場人物の部屋の状態を表現するために、そうやって撮るんだ…見えてないところがどうなっているか気になってしまう私には気持ちいいな、これ!と、ここもかなり興奮でした。

あとは、ボーリングのシーンで長回しのワンカットなのか、ワンカットに見せているのか分からないけど、カメラの動きがなめらかで臨場感があって好きです。

建物を真下からぐっと見上げるように撮っているカットも好き。
廊下などをキレイにシンメトリーになるように撮っているカットも好き。


そして、エンドロールを見て、「え!?」と驚いたのが、撮影と音楽が同じ方だということ。だから、めちゃくちゃ気持ちいい!と感じるのかも。音と映像がきれいに揃うから。素晴らしいMVを観たときの高揚感にも似た興奮だったので、なんだかとっても納得です。


あまりに興奮したので、上映後のティーチインで最初に手を上げて監督に質問してしまったほどでした(一応ね、他の人が手を挙げないなーと思ったから挙げたんですよ。だって、こんなマニアックなこと最初に聞くの変だし…)。

最初から最後まで「あああああ!この映像、好きいいいい!」って思いながら観てました。
公開されたら
まず、「黒服」の目線で観る
その次からは、ここの動きはこういう解釈もできるなーとノートを取りながら観る(自分、時々ノート取りながら観ます。近くにお客さんがいないだけですが、闇の中で音を立てずにノート取る)
何度も観に行っちゃうなー、これは!



カメラワーク以外にも好きだなと思うところはいっぱいあって。

主要な登場人物以外の人物を具体的に「見せる」ことを極力排除しているような描き方が面白いなと思いました。
「わたし」が困窮の末に行くアルバイト先にいる他の労働者たちは確かにそこにいて、顔も映っているのだけれど、それが人物として印象には残らない。「かくれんぼ同好会」の人たちもそう。
そして、黒服の元に集まってくる仲間たちも。一部のメンバーは顔や背景があるものの、大半は人物として印象には残らない。これが敢えてなのかどうかは分からないけれど、ある場面で、仲間たちが皆「黒服」と同じく黒い服へと変わってしまっていた瞬間に「このために敢えて個人を不明確にしていたのか!?」と私は思い、息を呑みました。その場面までに、絵として個人をはっきり捉えていると「あの人が黒い服を着るようになった」と感じてしまいそうなのだけど、元々個人が捉えられていないので「みんな「黒服」の分身になった…」と、うまく言えないけど、増殖した感がすごくて、不気味さが凄まじかったです…
全然違うけど、『シン・ゴジラ』はちょっと映る市民の顔もきっちり映って個が存在する感じがするんだけど、『真夜中乙女戦争』は真逆な感じがする、とでも言えばいいのか……。主人公の「わたし」がいかに周囲の「個」を捉えていないか、感じていないかを観客に伝えるためにやってるのかなぁ…と深読みしてしまいます。

アルバイト先のシーン、観ていて苦しいんだけど、妙にスタイリッシュっていうか、全然違うかもだけど、『時計じかけのオレンジ』を一瞬思い出したりして。
主人公の苦悩が記号的に描かれているような気がして。
私が他者のこういった苦悩を聞くとき、脳内ではこのシーンの描写のような捉え方をしているような気がして。
共感しているようでいて、その本当の生々しさは理解できていない、みたいな。
と思ってしまうのは、今、自分が仕事で追い込まれすぎておかしくなりそうなのに、誰も真に理解してくれない…という状況にあるからでしょう、きっと(笑)。

長くなったのでいったんこのあたりで。
多分また書きます。