映画館に住みたい。

邦画を映画館で観るのが大好きな40代がtwitterでネタバレを書けずにblogへ流れてきました。

ネタバレあり/『女子高生に殺されたい』観ました。

ネタバレありなので、ワンクッションで当たり障りのないことを少し書きますね。
田中圭さんの舞台挨拶、絶対行きたい!!」と思ってた時期は全然当選せず、「演じてる姿が観られればそれでいいけど一応応募しとくか~」という緩いスタンスに変えたら当選するようになって、あれれ?です(笑)。

ということで、そろそろ本題を。

いつものことだけど、思ったことをだーっと書いているだけです。

 

 

 

舞台挨拶のことは置いといて。

自分語りになるのですが、学生時代(20年ほど前…)に性的指向に関する研究をしていて、LGBTQよりも更にマイノリティな指向を持つ人がいることに触れられている論文を読んだことがありました。犯罪行為の加害者か被害者になることでしか性的な欲求を完全に満たすことができない人はそれを非常につらいと感じることもあるのだろうな…と想像しました。
多様性を認めようという動きには強く共感しますし、私自身も性的指向ではないけれど性的表現のほうではマイノリティなので(クロスドレッサーで身体的には女性ですが男性の格好で生活しています)、段々と生きやすくなっていることを実感していますが、多様性をどこまで想像できているのかは人それぞれずいぶん違うんでしょうね。

といったことをこの映画を観る以前から考えている私としては、自己暗殺性愛の指向を持つ主人公が変に卑猥に描かれているわけでもなく、かといってやたらと病的でかわいそうな人として描かれているわけでもないことに少しほっとしました(当事者の方が観ると「ひどい!」と思うのかもしれませんが)。


東山春人の佇まいが、独特で。
単純にビジュアルがいい!とかではなく。
性的な欲求をセックスで解消する気がなく、自分の欲求が異常であることをきちんと理解し、日常生活でそれがはみ出すことがないように厳重に折りたたんで仕舞い込んだ形がこれなんだな!と納得できる表情、声、姿勢、動き。台詞に感情を込めるとか、台詞として語られる言葉とかではない部分でそれを感じるんだけれども、決して冷ややかな人には見えず、計画の遂行のためではあるけれど温かく魅力的な人に見せる。
うーん。言葉にしても全く伝わらないけど、とにかく絶妙。
もっと狡猾に見えるかと思ったけれど、純度が高いというか、真面目というか。
その欲求は理解しがたいけれど、きっちり殺されて願望が叶うといいよね!頑張れ!!と応援する気持ちで観てしまったので、私も東山先生に堕ちたってことで…
だからこそ、折りたたんで仕舞い込んでいるものがはみ出したり、全部出てきてしまったりする瞬間にぞくぞくできるんですよね。それを不気味だと思う人もいれば、滑稽だと思う人もいるだろうし、私は結構泣けたというか愛おしいなぁと思いました。

女子高生もそれぞれ素敵だったんですが、それもちょっと置いといて(もう一回は観に行くからそのときに書こう)。

どういう意図があるのか答えは分からないけれど、シーンの間に挟まれるカットや、置いてあるものが印象的だったりしますよね。
始業式の日の桜の色が濃いのは単に品種かもしれないけれど、桜の木の下には死体が埋まっているという話を私は思い出しました。
空を飛ぶたくさんのカラスだとか。
魚の死骸を埋める傍に咲く彼岸花だとか。
病室の窓の外にぶら下がる蜘蛛だとか(私は「蜘蛛の糸」のイメージで、この先に救いがあるのか…ないのか…全くないというわけでもないってことなのかな?と思いました)。
赤いガーベラも花言葉を考えると意味があるような気も。
こういうのが散りばめられている作品は好きです。何度も観たくなります。
あとは、相談室のシーンでの座る位置を変えているのもいいなと思うし、これは意図的かどうか分からないけどある相談シーンでカメラがやや傾いてたんですよね…。非言語的に不安が掻き立てられて面白かったです。
光がキレイだなと思ったシーンがあったので、次に観るときにはそのあたりを重点的に観るつもり。

次に観るまでに原作読んでおきます~。