映画館に住みたい。

邦画を映画館で観るのが大好きな40代がtwitterでネタバレを書けずにblogへ流れてきました。

ネタバレあり/『くれなずめ』を観て、やっと…(という、自分の話)

Fan'sVoiceさんの『くれなずめ』最速試写会に行ってきました。
この作品は先に情報を入れずに観たほうが絶対楽しめます。

そんなことを言いながら、ネタバレを含むひとりごとを書くのは気が引けるのですが、どうしても書いておきたいので。しかも、映画の話とは直接関係のない、自分のことを書いています。

 

 

 

 完全に自分語りです。

18年前、高校→大学→大学院と同じ学校だった同級生が、大学院生だったときに突然亡くなりました。

深夜2時過ぎにバイトから帰宅した直後に携帯電話が鳴り、友人が「Aくんが亡くなった。大学病院にいるから、ご両親が到着するまで寂しくないように近くにいてあげよう」と言い、病院で朝まで過ごしました。
一週間ほど前に酒を飲みながら夢を熱く語っていた彼が物言わずに処置室に横たわる姿は眠っているようにしか見えませんでした。学内で倒れて亡くなっているところを発見されたそうです。

18年間、誰にも言わずにいたことがあります。
死の知らせが来る直前、自宅の固定電話に数時間前に入れられたメッセージを私は聞いていました。でも、それは名乗りもしないし、何を言っているのか全く分からない、呻くような不明瞭な声。一体誰だろう、いたずらか?と思っていたところにかかってきたのが友人からの電話でした。
きっとそのメッセージとAくんの死は何の関係もない。そう分かっているけれど。もしかしたらAくんだったんじゃないか、助けを求めて、名前の順番的に電話帳のいちばん上にある可能性が高い私にたまたまかけたんじゃないか…という問いかけをこの18年間何度も繰り返しました。

この出来事は『くれなずめ』のストーリーに近くはないんだけれど…(友人の死ということくらいしか共通点はないんです…すみません)。
きちんと映画は映画として楽しみながらも、観ているうちに、Aくんのことを思い出さずにはいられなくて。
いつも笑っててかわいかったなとか、脚が長くてかっこよかったなとか、誰とでも仲良くできるいい子だったなとか、頭が良かったなとか…そんなことを思い出して。

友人が生きているかのように振る舞う彼らを観て。
だけど、亡くなったという現実を飄々と引き受けようとする彼らを観て。
でも、引き受けきれずに足掻いているかのような彼らを観ているうちに。

私はAくんが亡くなってとても悲しい、という気持ちにやっと素手で触れられました。
「もしかしたらあのメッセージは…」という思いに強くとらわれていて、いや、それは悲しい出来事から自分の心を防御するための逃避だったのかもしれないけれど、でも、Aくんが亡くなったことは事実で、それがとても悲しい、寂しい、もっと話したかった、立派な研究者になった姿を見たかったと私は思っている、ということに、やっと触れられました。
18年間触れずにいた気持ちは大きく膨らんでしまっていたらしく、上映後にトイレで鏡を見たら目が腫れてました。


映画は映画として楽しんだ(結構笑った!)と言いながらも、集中できていたかは微妙なので、もう一度、今後は自分のことは完全に忘れて観ます!

そして、コロナが落ち着いたら、お墓参りへ行こう。