煙と煙突。
『ヤクザと家族』に関する自分語りな感じの感想です。
観る前に情報を極力入れないようにするタイプなので、煙の意味を知らずに観た試写会、私が生まれた街のことを思い出しました。街のいたるところに工場がある煙崎市のような街。煙突がある街。
私はああいう街を見ると、狭い場所で逃れられずに生きている、という閉塞感を感じます。
煙突に監視されているような気がする。
煙突が見下ろすところでしか生きていけないような気がする。
張り巡らされた配管に捕らわれているような気がする。
全て「気がする」でしかないのですが。
だから、あの街の風景はヤクザが案外狭い世界で捕らわれて生きていることの示唆なんだろうか?と思ったんですが、あれは煙突ではなく煙に意味があると知り、そうだったのか…と。でも、捉え方は個人の自由でいいか~と、何回観てもあの風景に閉塞感を感じます。
(だけど、それは高校卒業までしかいなかったからこその感覚で。大人になって自由にあちこち行ける力を手に入れれば、閉塞感なんてきっと感じないと思います。地元にいる同級生とかとっても楽しそうだし。)
作品とは全く関係ないですが。
あの風景、富士市ですよね。
親から「もし転勤があるとしたら行き先は富士市」と小さい頃散々聞かされながらも具体的なイメージが全くなかったのですが、この作品で初めて風景を知りました。地元に非常に似ていて、確かにここに転勤しそうではあります。