映画館に住みたい。

邦画を映画館で観るのが大好きな40代がtwitterでネタバレを書けずにblogへ流れてきました。

ネタバレあり/ノベライズ、読みました

『ヤクザと家族』のノベライズの感想の前に、ちょっと自分語り。
都内のシネコンでの上映が3/25で終わってしまうので、今日はTOHOシネマズ六本木ヒルズへ観に行きました。先週は小さいスクリーンだったけど、今日は大きめのスクリーン。六本木は音がぱきっとしてて好きです。
シネコンでの上映は終わるけど、EJアニメシアター新宿では引き続き上映されているので、週末までにノベライズの内容を頭に叩き込んで観に行きます。



では、『ヤクザと家族 The Family』ノベライズの感想とも言えないひとりごとをつらつらと。ネタバレ含みます。



まず、これを言いたい。
衝撃を受けて叫びたくて、でも、電車の中だったから叫べなくて、しばし呆然としたのは、中村に妻子がいたってこと。
ぶっちゃけ、ゲイだと思ってました。
若頭就任祝いのときに両隣にキレイな女性を座らせてるのに距離を取ってるから「中村がゲイだって知らない周囲がお膳立てして女性を座らせたんだけど、彼は関心がないのよね」と思ってたんですけど、まさかの愛妻家でしたね。

ここからが本題ですが。
ノベライズによって登場人物の生い立ちや出会いについての情報が補完されるのは良い部分もあると思いました。
実際の作品で表現されていることから妄想したり調べたりして自分自身で補完してきたところはあるんですが、生い立ちなどは敢えて妄想しすぎないようにして観ていたので、その情報が入った状態で作品を観てみると、感じ方がより深くなるというのはありました。ちなみに、今日は終盤に差し掛かるあたりまでノベライズを読み進めた状態で映画を観たんですが、33回目で久々の号泣でした(毎回泣くんだけど程度が全然違った…)。

ただ、気になるのは、ノベライズってどれくらい脚本家・監督(この作品はどちらも藤井監督ですが)の意向が反映されているんでしょうね。登場人物の履歴書を作る脚本家もいるそうですが、この作品もそういったものがあってノベライズに組み込まれているのか、はたまた、ノベライズの著者による創作なのか。そのあたりが知りたいです。
というのも、ノベライズが必ずしも正解ではないんだなと思ったシーンがひとつあって。賢治が細野に刺された後、海へ転落するシーン。ノベライズでは落ちたことを割とさらっと書いてあります。でも、先日のトークイベントで綾野さんは「少しでも細野の刑期を軽くできないかと瞬間的に思って海に落ちた」と山本の考えを語っていました。こういった相違があるくらいなので、正解はそれぞれの心の中、でもいいんですよね、きっと。

他に良かったところは。
警察組織や法律の変化についてところどころに説明が入っているのもいいな。そこをじっくり読むと物語の流れに乗れない感じだったので読み飛ばしたんですが、これから説明部分をきちんと読みます。

「月刊シナリオ」で読んだ台本のほうではなく、実際の作品に寄せて書かれているので、違和感はそれほどなかったな(個人的には2箇所、台本にあって作品にはない台詞について無いほうが絶対にいい!と思っているんですが、それがノベライズではあったので、「うーん…」と思いました…)。
逆に、おそらく撮影されているはずだけれどカットされているシーン(公式SNSで写真は出てる)がノベライズにはあって、そういうことだったのかー!と納得できたところもありました。


そして、「映画を観る」ことの楽しさをより一層実感しました。
画と音によって瞬時に感覚として捉えることの面白さはノベライズにはないものですよね。
(↓で考えていたことがそのとおりでした)

giko-ftx.hatenablog.com


と、ざっくりこんなことを思いました。
読書感想文的ではないんですが。

話が戻りますが、今日、賢治と由香がドタバタやってるシーンで声出して笑ってるお客さんがちらほらいて。笑うよね、あのシーンは。むしろ今まで声出して笑うお客さんにあまり遭遇しなかったのが不思議なくらい。
あのシーンで、賢治が由香をソファーに押し倒しにいく瞬間、綾野さんが尾野さんの首のあたりに腕を添えながら倒していて、肩だけ掴んで押し倒すよりも衝撃が少なくて済みそうだな…と思いながら観てます。

そんな感じで。長くなりましたがこれで失礼します…

(私の解釈間違いを検証したいけどそれは後日)