ネタバレあり/ノベライズと、電話のシーンに思うこと
今日は『アウトポスト』という米軍とタリバンの戦闘についての映画を観に行きました。『ヤクザと家族』を何度も観に行ったグランドシネマサンシャインで、何度も予告を観て「観るしかない」と思いまして。洋画、年に1~2本しか観ないんですけど。こういう出会いがあるから映画館に行くのが好きです。
それはおいといて。
さて、今回も『ヤクザと家族』を観ての感想とも言えないひとりごとをつぶやいているだけです。ネタバレ注意です。
3/24にノベライズ発売ですね。
読みたい、けど、読みたくない。
勝手にあれこれ考えて楽しんでいたので、「これが正解」と分かってしまうのが寂しい(ノベライズは監督が書かれているわけではないので、それが正解とも一概に言えないかもしれませんが)。「ファーストランの間に発売してほしかった、読んでからまた観たかった」という方が多いのかもしれないけど、私は観に行けるチャンスが減ってきたこのタイミングでの発売でよかったなと思います。
ノベライズ化で思う、あるシーンのこと。
出所後の賢治が由香に電話する(けど、「番号は使用されておりません」)シーン、短くて台詞はないけれど、画でぶわっと伝わるものがあって、(小説ではなく)映画だからこそ表現として好きだなと思います。
充電中で充電器につないだままの携帯とスマホに逸る気持ちを感じ、
(電話がつながらなかった後、「引き」になったところで)賢治が部屋の隅の壁に向かって座っている姿には由香に辿り着く手段がないのかもしれないという行き詰まりを強く感じる。
モノローグ的な台詞がほとんどなく、2019年の賢治は感情表現がそれほど大きくないので、こういうモノや登場人物がいる位置を見せられることで感情が深く伝わってくる、というのは素敵だなと思いました。
逆に考えてみて、電話がつながるシーンを撮るとしたら、あんなふうに部屋の隅の壁に向かっている姿にならないと思うんですよね。壁に寄りかかってたり、窓の外を見てたりしそう。あの隅っこを向いた姿が行き詰まり感を増幅させてるんじゃないかなと。
(と、こんだけ深読みしておいてなんですが、単にコンセントがあの位置にあるから、でしかない可能性だって十分にあるんですけど)
みたいなことをノベライズで感じるかと言ったらそうじゃないんじゃないかな…。
こういうのは画で観て直感的にぶわっと感じ取ることであって、文字で状況を丁寧に書かれたものを読んで想像するのとは、うまく言えないんだけど、根本的に違うと思っています。隅の壁に向かって座っているなんて、そもそも書かないのかもしれないし。
あ。私、小説も好きです。映画より小説のほうが面白かったと思う作品もありますし、文字だけであれこれ想像するのも大好きです。それぞれに違う良さがあって、映画として観る楽しさはこういうところにもあるんじゃないかなと思っているという個人的な気持ち?好み?の話です。
そういうシーンがノベライズでどうなっているのか、そういう観点から読むのも楽しいのかもしれないので、楽しみに待ちます。
つながらなかった電話のその後、細野に由香のことを尋ねるので、「賢治、あんたほんとに由香に逢いたくてたまらないのね…」とめげない賢治にぐっと来ますよね。
そんな感じで、いつものひとりごとでした。