映画館に住みたい。

邦画を映画館で観るのが大好きな40代がtwitterでネタバレを書けずにblogへ流れてきました。

ネタバレあり/5年ルールと由香の台詞

私が通っていた小学校の隣には暴力団組員のものだと言われている家があったり、通学路の途中には組長のお妾さんの家があったり(ここで飼われている犬がかわいくて、幼い弟は扉も柵もない庭に勝手に入っていって遊んでたことも…)、地元のお祭にはそれらしき男性がたくさんいたり。
そういう場所で育ったので、ヤクザは遠い世界の人というわけでもなかったのですが…

news.yahoo.co.jp

 

でも、こういう記事が目に留まるようになったのは、映画(『ヤクザと家族 The Family』『すばらしき世界』)の影響。

私自身、いくつかの点でマイノリティでありながら、幸いなことに今の日本の中では排除されることなく生きていけていますが(私を直接指しているわけではないけれど差別的な発言は結構聞きますけどね)、「ひょっとしたら自分も何かの拍子に法的な根拠をもって排除される側へまわるのかもしれない」という小さな不安は常にあるので、社会から徹底的に排除される(元)ヤクザを描いた『ヤクザと家族』に強く惹かれるのはそのあたりも要因のひとつです。
大迫の台詞にある「お前らがしてきたこと考えれば当然の報いだろ」というのも理解できなくはないですが、リスタートを切ることをここまで厳しく制限するのはもはや人権侵害では?と思わざるを得ないな…というのが、この作品を観る以前からの私の意見です。

(上のリンク先の記事は排除の話とは少し違いますが)

 

そういったことを踏まえつつ、『ヤクザと家族』の台詞から思うことを少し。
ただのひとりごとです。
※ここからネタバレ含みます。

 

由香が賢治に「なんで、私に会いに来たの?」と尋ねる台詞。

由香は5年ルールを知っていて、身寄りがなく組を抜けても自分で家を借りることもできない賢治が転がり込む先として自分を選んだだけではないか?と疑念を少しでも抱いてしまったゆえにこの問いかけが出てきたのだと思うのですが…

 こういう見方をしてしまうと、柴咲が賢治に組を抜けるように言ったのは、親心ももちろんあるんだと思うけど、そういう存在がいると知っていて、抜けても生きていけると思ったのでは?とも考えてしまう。
真面目で普通に生きていけそうな中村が組を抜けないのはそのあたりの違いなんだろうか。中村に身寄りがいたのかは分からないけれど、53歳(2019年時点)なので、親はもういない可能性が高そう(中村は柴咲のことがいちばん大事なので、何があっても抜けないんだろうけど)。


気になって少し調べたのですが、元暴力団組員は賃貸契約を結べないので(おおむね5年間)、代わりにパートナーの女性が契約するといったことはあるようですね。居住者の中に元組員がいると分かってしまうと退居させられることもあるようですが。
由香が退職勧奨されるシーンは現実的にここまで強引にできるのかなと思ったりもしますが(でも、私は会社に入るときに反社の誓約書を書いた記憶があるな)、社宅(公務員住宅)を退居させられるのは契約上の根拠がありそうです(お付き合いしていたかどうかの判断は難しくても、賢治がそこに住んでいたのは事実なので)。
にしても、ほんとに厳しいと思う…。
作中のSNSでの騒動のような社会的な差別もあるけれど、法的に人権を奪われているとしかいえないのが再起不能に限りなく近くて、他の人権問題との違いだよな…と思います。

ひとりごとなのに長くなってしまった。このあたりでおわります…。