映画館に住みたい。

邦画を映画館で観るのが大好きな40代がtwitterでネタバレを書けずにblogへ流れてきました。

ネタバレあり/『わたしの幸せな結婚』

facebookに殴り書きした『わたしの幸せな結婚』が好き!って気持ちをこちらに転記。

ネタバレはほとんどないけど本題までのワンクッションとして関係ないことを少々。

恋愛ものにあまり興味がない私が観ようと思ったのはキネ旬の表彰式がきっかけ。当日会場で観たんですが、目黒蓮さんの姿勢が美しくて、軍人が似合いそうだな…と思いまして。だから、アイドルとしての目黒さんがどんな方なのかとか、グループのこととか、全く知りません。すみません。

 

さて、本題。

 

『わたしの幸せな結婚』にハマってしまい、既に7回。
馬鹿みたいにハマれる作品が毎年ひとつはあって、わたしは幸せです。

 

原作では細く女性的な美しさがある絶世の美青年として描かれている清霞だけど、目黒蓮が演じる清霞は包容力を感じられる身体の大きさも含めてなかなか素敵。

 

「異能」を持つ名家の当主でありながら質素な別邸で暮らし、華やかな暮らしを好む令嬢たちとの婚約をことごとく破棄し、冷酷無慈悲の軍人と噂される清霞。
名家の長女にも関わらず使用人として扱われ、愛されることを知らずに育ち、自尊心が低い美世。
美世が清霞のもとへ婚約者として送られることから物語が始まります。

 

清霞は初対面の美世に「私が死ねと言ったら死ね」と言い渡すほどなかなかアレな人ですが、少しずつ(焦れったいくらいちょびっとずつ)互いを理解するようになると、表情が緩む瞬間が時々訪れるようになるのですが、これがすごくいい。
特に美世といるときの清霞の表情は、台本をなぞっている感じがなく、目の前にいる美世の表情を感じて引き出された自然な表情に見えます。
ざっくり言うと、目黒蓮、すごいな。
ほんとすごい。
正直、「絶世の美青年」は鶴木新役の渡邊圭祐のほうだと思う。でも、恋愛方面での非常に細やかな感情表現を求められるこの役をできる若手俳優って他にいないんじゃないかな…。

 

そして、この作品、構図偏愛主義の私は気持ちいいカットがいっぱいあってたまらんです。覚えるほど観たい。ひとりで延々と解釈を考え続けたい。

 

そんなわけで、原作を読み進めつつ、あと何回か観に行きたいです。

究極の自分語りを(セクシュアリティとジェンダーの側面から)

映画『エゴイスト』を観てのひとりごとを書きたいのですが、その前に、セクシュアリティジェンダーの側面から、私についてのひとりごと。


『エゴイスト』の文庫版が発売になったその日の早朝に買い、通勤時間や昼休みを使ってその日のうちに読み終わった。
普段それほど本を読まない私が珍しく集中して読んだ小説。

本よりも映画が好きだから、原作を読むとしても後にすることが多い。
だが、この作品に限っては「原作が先で大丈夫。だって、鈴木亮平だもの。絶対に原作を超えてくる」と思ったから原作を先に読むと即決。

鈴木亮平さんが書いた「あとがき」を読んだのは会社や電車の中ではなく、自宅だった。自宅でよかった。

私は少なくともシスジェンダーではない。
そして、学生時代にセクシュアルマイノリティに関する研究をしていたくらいにはそれを隠す気はさらさらないのだ。
学生生活も残り3か月となった24歳のある日、「私の好きな女の子が…」とさらりとことばにしたその瞬間、自身のセクシュアリティについて家族から罵られるという出来事があった。ショックのあまり、直後に自殺を図った。

死ねなかったから就職した。

一般企業に就職後は「マナー」という名前のついた「女性らしさ」の枷を嵌められた。
それが当たり前の時代。
違和感しかない女性の服装と髪型と化粧で装う日が15年以上続いた。

40歳を過ぎて人生の折り返しを意識したとき、着たくないものを買って着て終わっていくのは虚しすぎて、何を言われようとも残りの人生は好きな装いで生きていくと決めた。
それは私自身の意思ではあったけれど、オフィスカジュアルの浸透だとか、ジェンダーの多様性を受容しつつある社会の動きだとかが後押しになったのは確かだ。

そして今、男性の服装と髪型で仕事もプライベートも過ごしている。

嫌悪感なく鏡の中の自分を見られるようになった。
胸を張って歩けるようになった。
こんな日々をもっと早く手に入れたかった。

そんなことを思いながら生きている。

私はやっと私のことをもう一度好きになれた。
40歳を過ぎて。やっと。


ジェンダーは時間がかかっても解決ができたけれど。
家族からの侮蔑という事実が重すぎて、セクシュアリティについては自分の気持ちに向き合うこともできないし、ましてや、行動に踏み出すことなんてできなかった。

セクシュアリティを罵られたあの瞬間、自分という人間の根幹をへし折られたような気がした。しかもそうしたのは、これから先も付き合わざるを得ない家族。へし折られることをこの先もずっと受け入れ続け、人間としての根幹を失ったままの人生に意味があると思えなかった。
だから、人生を終わらせたかった。

その決断を自分の弱さゆえだと悔やんだり、責めたりしてきた。
その反面、いつ死んでもいいと思いながら生きることしかできなかった。
あの瞬間に、私の中の「何か」はやっぱり死んでしまったんだろう、と。

そんな私が「あとがき」の最後のことばを読んだ瞬間、ぼたぼたと涙がこぼれた。
死を選ぶ人たちがいることについて、誰が、何が変わるべきなのかを大好きな俳優がはっきりとことばにしてくれた。それを読んで、あの日の自分を私自身がやっと包み込めたような気がしたし、包み込まれた私が泣きながら心の中で叫んだのは「死にたくなった私じゃなく、死にたくなるようなことを言った親が悪いんだ!」と、おそらく心の奥深くにずっとずっと封じ込めていた怒りだった。親に対する直接的な怒りというよりも、他者のセクシュアリティに対して侮蔑する言葉を平気で吐き出せるような人がいる社会に対する怒りだ。

それが昨年の出来事。
それから次第に、本当はどんな人が好きなのかが分かるようになってきた。
40歳をとっくに過ぎて、やっと。
気を使ったり、規範という無意識のフィルターをかけたりすることなく、本当に好きな人。
こればっかりは相手がいることなので自分の意志ひとつで、とはいかないけれど、分からないまま死ななくて良かったと思いながら、恋をしている。
顔も年齢も知らないけれど、時折感情が微かに滲むこともある柔らかい声を持ち、話しぶりと書きぶりから知的な印象がある女性にすっかり恋をしている。

 

 

私が育った町には映画館がない。町にいた18年間に映画館で観た映画は10本あるかないかだった。その町に今も住む親はケーブルテレビで映画を観ており、亮平さんの出演作が放送されれば観ているらしい。

だから、『エゴイスト』が放送されたら親は観るかもしれない。

観たら少しは認識が変わるかもしれない。

愛が何なのか分からないと苦悩する、同じ人間なんだって分かってくれるかもしれない。

 

映画やドラマでマイノリティを描く際、当事者性の課題がよく語られ、それは一応理解できる。だけど、この私の「期待」のように、(当事者性を問わずに)名の知れた俳優が演じることで生まれる効果もあるんだと思う(それは当事者からかけ離れることがない設定と演技であってほしい)。

それを重ねていくことでセクシュアリティジェンダーへの偏見がなくなれば、それはオープンに語れることへと変わり、当事者が演じるのが当然になる、という流れを凡人であるせいか、つい思い描く。

 

 

残りの人生、もし叶うのなら、誰かを愛して愛されて、これは愛かエゴかと葛藤しながらも、互いの人生に互いが存在することを幸せだと思って生きていきたい。

だから、そろそろ、もう一歩踏み出すときなんだと思う。

そして、「私はこの人を愛してる」と笑顔で言える日が訪れるなら、それ以上の幸せはない。

 

 

 

 

「オールドファッションカップケーキ」最終話の「橋」からの深読み。

原作を尊重しながらも、映像ならではの表現で一層印象深くなったシーンも多々あるなぁと思いながら観ました。
映像ならではの表現があるシーンで私が特に好きなのは、最終話の橋の上のシーン。
深読みし過ぎだから!と自分でも思うけど、語る相手も特にいないのでぽちぽちと書いてみました。
ネタバレしかないのでご注意ください。




■メタファーとしての橋

「境界に立つ」「一線を越える」などのメタファーとして使われる橋。
原作では雑踏の中を外川へ向かって駆け出した野末が、ドラマでは橋の上から駆け出します。

彼岸と此岸。

一度は彼岸へと歩みを進めようとするけれど。
振り返って此岸へ駆け出す。

彼岸は、ただの上司と部下として存在する人生。
此岸は、外川とともに生きていく人生。

「橋の上」という絵が野末のこの決断を引き立てていて大好きです。
 

■橋=人生だと思うと…

このメタファーだけでもかなり好きではあるのですが、更に好きな理由が他にも。

彼岸へ歩いていく野末に傘を渡すために此岸から駆けてきた外川は、野末のことばを遮るようにして去っていきます。
これが、「橋の手前あたりの歩道」ではなく「橋の上」で起きるのは、外川が野末の人生から去る覚悟をしているような気がして切なさが増す……んですけど、少なくとも私は。
あの橋の袂が普通の歩道につながるのではなく、橋から降りるような構造になっているのもまた、いなくなってしまう感じが強くて切ない。
 
橋=人生と考えるのであれば、あの橋の長さ(かなり長いですよね)もいいなと思います。
野末が立ち止まって振り返る位置はおそらく橋の真ん中まで来ていないあたり。つまり、人生はまだ半分以上あるんですよね。39歳の野末の人生はまだ折り返し地点にも到達していない。これはその後の81歳の件にもつながるのかなと思ったりしました。

■此岸と彼岸の仏教的解釈…?

此岸と彼岸は一般的な名詞だけではなく、仏教用語でもありますが、それをそのまま当てはめて考えようとするのは無理があるなぁ…と思うけれど。
でも、欲を捨ててしまっていた野末は悟りの境地に近いのではないかと。
そんな彼が己の中に目覚めた欲を自覚し、此岸(=俗世)へ戻ると考えると……あぁ、やっぱり橋の上っていいよね!!と思うわけです。

■脇道がない橋

年齢や上司と部下であること、性別といった決断できない言い訳。だけど、最終的には言い訳をすべて削ぎ落として、残ったのはシンプルに、外川がいる未来・いない未来の選択。言い訳=脇道だと考えると、脇道が存在しないあの橋は言い訳に逃げないと決めた野末の心象風景としてもステキだな…と思います。
そしてこれは完全に深読みしすぎの域だと思うけど、駆けていく野末が橋の上を歩く人々にぶつかりそうになりながら躱すのが、多少の困難はあっても乗り越えるという意志の現れだったりするんだろうか…と。考え過ぎかな。
 

■人が生活する灯り

これは実際に佃大橋へ行ってその場に立ってみて感じたことですが、周囲にはタワーマンションが建っていて、灯りがとてもきれいです。そのひとつひとつで人々が生活しているんだなと思うと、オフィスビルの灯りを見るときとは全く違った気持ちになり、普段「この先ずっとひとりでもいいやー」と思っている私でさえも「あ。今、猛烈に誰かと生活したい」と心が揺れました(笑)。
だから、野末も…とは思わないけど、そういうあたたかみのある橋がその舞台だったという点もいいわぁ…と思いました。
 

■橋の要素以外も好き、もちろん

このシーン、それ以外も好きなポイントが。
Twitterにも書いたことがありますが、野末が駆け出すよりもほんの一瞬カメラが早く動き出すのが無茶苦茶好き。気持ちのほうが先に駆け出しているような感じがして、ぶわっと血が滾るような興奮があります。好き、ほんと好き。そして、駆け出した野末のモノローグが決して感情的ではないのも大好きです。野末は一時的な感情で衝動的にそれを決めたわけではなく、冷静なのだと分かるのが”大人の恋愛ドラマ”って感じがして……好き。というか、好きではないシーンが一箇所もないんですけど。


以下、自分語りですが。
いろいろと深読みしすぎていて、実は「橋は撮影がしやすい」とか「次のシーンにつなげるためにこうせざるを得なかった」とかそういったことかもしれないけれど、私にとっては何度も反芻して考えるほど印象深いシーンだったということで。

考えているうちに、自分自身の人生もあの橋の上に置いてみて視覚化されたような感じがしています。
今の仕事は余生を過ごすようにやっていこうと心のどこかで思っていたけれど(手を抜くとかそういうのじゃないよ。ちゃんとやるんだけど、ぐわああああ!ってやらない感じ)、そうじゃないなと。この仕事を前の仕事と同じくらい、いや、それ以上愛するくらいの気合いでやってやるわ!と思うようになりました。同じ目標に向かって共に進むみなさんとともに。


ということで、長々と失礼いたしました。

ネタバレあり/『女子高生に殺されたい』観ました。

ネタバレありなので、ワンクッションで当たり障りのないことを少し書きますね。
田中圭さんの舞台挨拶、絶対行きたい!!」と思ってた時期は全然当選せず、「演じてる姿が観られればそれでいいけど一応応募しとくか~」という緩いスタンスに変えたら当選するようになって、あれれ?です(笑)。

ということで、そろそろ本題を。

いつものことだけど、思ったことをだーっと書いているだけです。

 

 

 

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お引越ししなきゃなのだ。

今、住んでいる場所が映画好きには割といいところで、

 

イオンシネマ板橋

TOHOシネマズ池袋

グランドシネマサンシャイン

シネ・リーブル池袋

池袋HUMAX

新文芸坐

シネマ・ロサ

 

が30分圏内。

 

なんですが、春から勤め先が、あれは何区なんだろ。海のほう。今の自宅からだと1時間以上かかるので、泣く泣くお引越しします。ずっと在宅だったところから往復2時間はちょいとしんどいので、なるべく近場に(でも、近場はおそろしく家賃が高い💦)。

でもやっぱり、いちばん近い映画館まで何分かな?と気になる(笑)。

勤務先からいちばん近い映画館は20分ほどなので、仕事帰りにレイトショーを観られるといいな。

 

そんなわけで、近いうちにピタットハウスに行ってきます!

 

 

2021年 映画館・試写会で観た映画

2021年、映画館・試写会で観た映画(再上映含む)は203回・79作品。


【ぎーこ的ベスト10】

ヤクザと家族 The Family
孤狼の血 LEVEL2
JOINT
ONODA
空白
まともじゃないのは君も一緒
先生、私の隣に座っていただけませんか?
くれなずめ
街の上で
そして、バトンは渡された

別枠ということにして『香川1区』も入れたい!

順番はつけられません。
一応、2021年公開作品に限定してる、はず。

【ちょっとした感想的な…】

特に印象深いのは『ヤクザと家族』。「絵」の構成(場所、人物を立たせる・座らせる位置、カメラ位置など、ノンバーバルな部分)に興味を持つきっかけとなり、ここから映画の楽しみ方が大きく変わった気がしています。
あとは『孤狼の血 LEVEL2』の上林(鈴木亮平さん)。最初の脚本では単に凶暴なだけだった上林。それをサイコパスにしたり、哀愁を漂わせたり、実はいいところもあるような人にせず、凶悪な彼の行動原理を設定して、そこから絶対にブレずに演じている(んだと思う、私は)ところが痺れる。亮平さんの中では上林目線での長編小説が書き上げられているのでは…?と思うほど。
『JOINT』は…インディーズ作品でめちゃくちゃいい!と思える作品に出会えると、映画館へ頻繁に通う自分へギフトが届いたような格別の感動があります。

 

【鑑賞リスト】
順番は回数を降順→タイトルを昇順で並べ替えただけです。

ヤクザと家族 The Family (42回)
孤狼の血 LEVEL2 (35回)
東京リベンジャーズ (25回)
ホムンクルス (6回)
そして、バトンは渡された (3回)
まともじゃないのは君も一緒 (3回)
JOINT (2回)
かそけきサンカヨウ (2回)
キャラクター (2回)
くれなずめ (2回)
すばらしき世界 (2回)
ヒノマルソウル (2回)
ルパンの娘 (2回)
花束みたいな恋をした (2回)
街の上で (2回)
空白 (2回)
星空のむこうの国 (2回)
先生、私の隣に座っていただけませんか (2回)
太陽は動かない (2回)
地獄の花園 (2回)
燃えよ剣 (2回)
鳩の撃退法 (2回)
99.9
Arc
AWAKE
BLUE
CUBE
DUNE
HOKUSAI
JUNK HEAD
ONODA 一万夜を越えて
SNS
Summer of 85
アイの歌声を聴かせて
アウトポスト
アジアの天使
あのこは貴族
あの頃。
いのちの停車場
キネマの神様
きのう何食べた?
ゴジラVSコング
ザ・ファブル 殺さない殺し屋
サマーフィルムにのって
さんかく窓の外側は夜
ディア・エヴァン・ハンセン
ドライブ・マイ・カー
バイプレイヤーズ
はるヲうるひと
ピーターラビット2
ファーストラヴ
ブレイブ
ポプラン
ホリミヤ
マイ・ダディ
マスカレード・ナイト
るろうに剣心 The Beginning
るろうに剣心 The Final
哀愁しんでれら
茜色に焼かれる
夏への扉
軍艦少年
護られなかった者たちへ
香川1区
砕け散るところを見せてあげる
子供はわかってあげない
真夜中乙女戦争
総理の夫
太陽の蓋
太陽の子
土竜の唄 FINAL
浜の朝日の嘘つきどもと
名も無い日
名も無き世界のエンドロール
明日の食卓
由宇子の天秤
竜とそばかすの姫
老後の資金がありません
騙し絵の牙

【全く個人的なことですが…】

東京の映画館がほぼ営業していなかった5月、たまたま仕事でいろいろあって必死に働かざるを得ないことになり、その月の労働時間が397時間…。映画館が営業していたらここまで働かずに適当なところで切り上げてたんだろうなと思います。実際、12月も仕事の状況が似ているのですが、時々「今日は夕方から不在です」と宣言して(在宅勤務です)映画館や試写会に行ってました(そして、帰宅後にまた仕事するんですけど…)。映画館、ほんと大事。

ネタバレあり/『真夜中乙女戦争』が素敵すぎる(特に映像が)

衝動的にいっぱい書きたいときにだけ更新するブログです。
衝動を掻き立てられる1本に出会えたので、久々に更新。
公開前に試写会で観た『真夜中乙女戦争』です。
ネタバレありなので、ご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

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